「今週のことば」2018年11月

<2018年11月第4週>
早宮校 講師 石川 亮介

 
 2020年度(2021年1月)から導入される大学入学共通テスト(新テスト)の試行調査が定期的に行われているが、記述式・論述式問題の採点基準等については常に問題点が指摘されている。11月11日に実施された調査でも、数Ⅰ・Aの第1問、「集合」に関する記述式問題について、解釈のしかたによっては問題が破綻しているとの声が上がり、議論の対象となっている。
 これから紆余曲折を経てどのようなテスト形式に落ち着くのかは純粋に気になる。私事で恐縮ながら先日、娘が生まれたばかりなので、我が子が受験する頃の大学入試はどうなっているのかと、より長期的な視点でも興味を持ってしまうところである。
 どのようなテスト形式が最善であるかは永遠に答えの出ないテーマであるようにも思える。それについて答えにたどり着く道筋が漠然とでも見えているなら、大学入試のみならず、高校入試も中学入試も、少しは画一的な様相を呈しそうなものであるが、現実はそうなっていない。特に私立中学入試のテスト形式は各校、とても個性的である。上位校の算数でいえば、開成中、駒場東邦中、桜蔭中など、途中式や考え方を重んじて採点対象とする学校は多い。一方で、早稲田中などは全問、最終的な解答を記すのみであり、関西トップの灘中や、女子校で桜蔭と双璧をなす女子学院中なども、途中式を書かせる問題はごく一部に限られる。
 もちろん、どちらが正しいということはなく、テスト形式には各校のカラーや信念が反映されているはずである。早稲田中の問題ほど難易度が高ければ、解く過程が的を射ているだけでも部分点を与えたくなるところだが、最後までミスなく正答を導き出すことが重要だと言われれば、それは間違いなく正しい考え方であるし、それこそが算数(数学)の本質であるともいえるだろう。
 都立高校入試の形式に目を向けると、マークシートの導入により、一見すると大学入試改革が目指す方向とは逆行しているようにも思える。しかし、頻発していた採点ミスを極力減らすことなども考慮したとき、今の記述問題の分量でちょうどバランスが取れているのかもしれない。数学の出題単元がパターン化している点についても物足りなさを指摘する声はあるが、入学試験で評価されるべき主たる観点が、先天的な能力よりも、「取り組むべきことに真面目に取り組んできたか」に置かれるのであれば、的を絞りやすい形式のほうがよいと考察することもできる。
 多種多様なテスト形式が各々の説得力を持ち得ているならば、試行を重ねている新テストが、果たして数学の「本当の力」を見極める方向に向かっているのかどうかも分からない。しかし、分からないなりに試行錯誤を続け、長い年月の中で洗練させていくことに意味があるということだろう。
 私たちとしては、テスト形式が変わるに伴い、それに順応しようとすること以上に、勉強を進める上でやるべきことは本質的には変わらないという心構えを持つことのほうが重要ではないだろうか。テストの変化が誰かにとって特に有利になったり不利になったりすることはなく、結局のところ、本質を理解している人はどんな形式でも解いてしまうのである。
 とはいえ、教育者の立場でいえば、学力が高いとはいえない生徒にもある程度の得点を取らせてあげたいので、本質的理解を促しつつも、ややテクニカルな方法論を見出したい気持ちがあることは否めない。また、文科省は、記述式問題導入の意義として、受験生の思考力・判断力・表現力を評価できる点のみならず、「高等学校に対し、『主体的・対話的で深い学び』に向けた授業改善を促していく大きなメッセージ」になるとして、現場での質の高い教育を期待している。
 かといって、「とにかく何かを変えなくては」という思いに捕らわれるままに、表面的に、例えばディスカッション形式の授業を取り入れたりするだけでは、逆に中身の薄い授業になりかねない。また、学校の定期考査に記述式問題を多く組み込んだとしても、採点する側が、模範解答のみならず、許容される解答の範囲、その他、想定される様々な解答パターンを熟知していなければ、生徒に誤った情報を伝えてしまう恐れがあるだろう。このことは学校教育のみならず、塾でも同じようなことがいえるのではないだろうか。
 つまるところ、教える側が不勉強では話にならない。「やるべきことは変わらないぞ」と言ったところで、自らがその教科の神髄を会得できていないのでは、その言葉が生徒に響くことはない。新時代を迎えようとしている今であるからこそ、教育者が生徒以上に勉強する決意を新たにすべきであろう。



<2018年11月第3週>
大泉学園校 室長 井野口 誠

 
「受験は団体戦」
 
最近のスポーツ界において、日本人選手の活躍は目覚ましいものがありますね。最近の話題ですと、卓球の伊藤美誠選手が11月のスエーデンOPで中国の歴代女王たちから奇跡の3連勝をして優勝し、翌週には早田ひな選手とダブルスを組み、またもや中国ペアを退け優勝を飾りました。一昨年までは中国の厚い壁は崩すことが出来ないと思われていたのですが、昨年には平野美宇選手も中国の壁を撃破して優勝をしています。そうかと思うとメジャーで活躍している大谷選手の二刀流での新人王獲得のニュースが飛び込んできました。テニスの錦織選手も怪我明けからのファイナル出場を果たし、大阪なおみ選手も今年は大ブレークしましたね。スケートの紀平梨花選手も第一人者の宮原選手を逆転して華麗なデビュー戦初勝利を飾りました。
バドミントン、柔道、サッカー、野球・・・若い選手がたくさん出てきています。2020年のオリンピックは今から本当に楽しみです。
日本は個人競技には弱いが団体戦には強いというイメージがありましたが、最近は個人種目の方が目立っているように感じます。
 
かつて水泳が日本のお家芸と言われていたことがありました。優勝候補と言われていた選手がプレッシャーで力が出せず、メダルが取れないこともありました。ある時から選手たちに「チームとしてみんなで戦っていく」と語り始めて意識改革を行っていきました。そして今では昔の栄光を取り戻すことができました。
映画「ちはやふる」の一場面にも「個人戦は団体戦」というフレーズが出てきます。個人戦の時こそ、今までともに頑張ってきた仲間や先生の応援が力に変わっていくのです。
受験も「個人戦」ですが、共に勉強してきた仲間や先生、そしてご両親の励ましが大きな力となって入学試験の時に後押ししてくれると思います。
エースセミナー大泉学園校でも「個人戦は団体戦」ということを生徒たちに話しています。
受験の時には「頭が真っ白になって全然できなかった」というようなことが起こります。
そういう時こそ心を落ち着けて、今まで仲間達と頑張ってきたことを思い出して、目の前の1問1問に集中して取り組んでほしいと思います。
 受験生のみんな、頑張れ!



<2018年11月第2週>
早宮校 室長 中岡 秀彰

 
遠くて近い昭和
 
「降る雪や明治は遠くなりにけり」
俳人・中村草田男(1901~83)の詠んだ俳句だが、考えてみれば平成もあと一年足らずで終焉の日を迎え、昭和生まれにはある種感慨深い。
GWが明けてからの季節外れの冷雨が、昭和の頃には想像だにしなかったここ数年の異常気象を思わせ、さしずめ
「降る雨や昭和も遠くなりにけり」
といったところだが、わが教室の中学生、なぜか話題の端々に昭和の匂いがプンプン香ってくるのだ。
中3生のある女子は松田聖子の大ファン。中1のある生徒は教室でジャッキー・チェンやブルース・リーのアクションに興じ、またある生徒はゴダイゴの「モンキーマジック」や「銀河鉄道999」を口ずさんでいる。筆者の少年時代直球ど真ん中の話題で教室が盛り上がる。
なぜ、こんな現象が…?心あたりがないわけではない。今年、わが子が中学に入学した。つまり、教室に通ってくる中学生の保護者と同世代になったということだ。同じ時代の熱狂やムーブメントを保護者たちと共有している。
親の立場でみれば、自分が興じてきた趣味や感動をわが子と分かちあいたいという気持ちが痛いほどよくわかる。また子どもの視線でみれば、お父さんやお母さんが少年や少女にもどったかのように目を輝かせながら語るジャッキー・チェンやゴダイゴ、松田聖子にただならぬ魅力や興味を感じるのであろう。動画共有サイトの普及で、ありし日のなつかしい映像を手に取るように閲覧できるようになったことも大きいのかもしれない。
中学生に漂う昭和の香りに、親子関係の良好さを嗅ぎ取ることができる。昭和の香りがする生徒がどんどん増えてほしい。
「時経(ふ)れど昭和は遠くならなくに」



<2018年11月第1週>
石神井本校 講師 吉田 満典

 

「2011年3月11日。失われたもの、だけじゃない」  
 
先日、ある動画を見る機会があった。日本ユニセフ協会が制作した「ハッピー バースデイ 3.11」だ。2011年3月11日、あの震災の時に、その場所で生まれた赤ちゃんたちのことだ。可愛らしい笑顔の赤ちゃんの写真や動画とともに、その時の状況が一言でわかるコメントが書いてあった。
 
「助産師さんが、おおいかぶさって守ってくれた」
「名前はペンで足の裏に書いた」
「友人がおむつを集めてくれた」
「駐車場の車が分娩室になった」
 
もちろん、生まれた赤ちゃんは、誰一人、その時のことを記憶してはいない。覚えていないのに、あの子たちは、みんな「3.11」に生まれてきたことを背負って生きている。
 
多くの犠牲の上で生まれてきたんだよ・・・。
生まれてきたことに大きな意味があるに違いない・・・。
その命を大切に、もっと多くの人たちのために生きてほしい・・・。
生まれてきた子供たちが自分自身でその意味を考える前に、周りが勝手に無責任に意味を付け加える。
 
時にはそのことに耐えられなくなって、誕生日や生まれた場所を聞かれた時、ウソをつくこともあるかもしれない。何でその日、その場所で、私の親は自分を産んだのだろうか‥と。親の方も、そんな子供の気持ちが見えなくなった時、つい、何でその日、その場所で、この子は生まれてきたのだろうか‥と。
 
この親子にとって、お誕生日に「産んでくれてありがとう」「生まれてきてくれてありがとう」、そんな簡単な会話で終わるはずがない。誕生日が来るたびに、この意味と向き合い続けながら、家族全員で乗り越えてきたに違いない。昨日まで、ちゃんと生きてきたことに感謝。今日も無事に終えたことに感謝。明日も新しい一日を与えてくださることに感謝。
 
 エースに通ってきてくれている子供たち。
たくさんある塾の中でエースを選んでくれた子供たち。決して偶然に出会えたわけではないとすれば、そこには何か意味があり、本当は奇跡に近い出会いをしているのかも知れない。そう思うと一回、一回の授業を大切に、子供たちに出会えたことに感謝して、今日も元気に一緒に頑張ろうと思う。
 
それが、エースの先生たちの共通している思いだ。


バックナンバー「今週のことば」へ
 
お問い合わせ