「今週のことば」2017年12月

<2017年12月第2週>
東久留米幸校 室長 福永 浩之


「十年後」
 
 気がつけば今年も残り僅かとなってまいりました。この一年間、皆様はどのように過ごされましたか?
 私自身はこの一年を振り返ってみると、食べて寝て、職場に出て仕事をして、時々家内と共に買い物に行ったり、我が子と映画を見た帰りに外食したり…といった本当に平凡な毎日の繰り返しでした。我が事ながら、よくもまあ飽きもせず毎日毎日同じようなことを繰り返してきたものです。
 
 でも、人というものは毎日毎日同じことを繰り返しているようでいながら、日々成長を遂げるものでもあるようです。確かにやっていることに大した変わりはないのですが、よくよく見てみれば小さいかも知れませんが、何かしらの気づきがあったり、新たな出会いがあったりするものです。そして何より、老いも若きも確実に年を取っていきます。ですから、今日の自分は昨日の自分とは何も変わっていないようでありながら、実は全く同じであるということはあり得ないのです。そう考えると、日々変化し続けて成長しているのが人というものなのかも知れません。ただ、それに気付くか気付かないかだけのことなのではないかとも思われます。
 
ところで先日
 
「人は心で生きるのであって、体で生きるものではない」
 
との言葉に出会いました。本当にその通りだと、私は思いますが、皆様如何お考えでしょう?
何かのことで本当に大変な思いをしている時、誰かから受ける気遣いというものは、ほんの一言の言葉であっても嬉しく感じるものですし、そんな時に出してもらった差し入れは、たとえ安物の缶コーヒーであっても、その味は(実際にはいつも飲んでいる味と変わらなくても)何か格別なもののように感じて、体中に力が溢れてくることだってありますよね。
 
 勉強においても似たようなことが言えるのではないでしょうか。
 
 人にはそれぞれの“持ち場”というものがあって、一人ひとりが自分の最も得意とするものを生かすことによって社会が成り立っている(オールマイティーな出木杉君のように何でもかんでもできなければならないというわけではないですよね)と言っても良いと思いますが、現実には自分の持ち場がどこにあるのか、自分自身分かっていないということがあるようです。ある統計によれば、社会人の内約七割もの人が「人生つまらない」と感じているとのことです。一生懸命に勉強して社会に出たものの、自分自身の持ち場が分からず、社会の中で自らの存在意義を見出すことができないまま、ただ空虚に生きているということなのです(どれだけ収入があっても、心が満たされないまま、単に生命活動を維持しているだけの状態にあるヒトのことをゾンビと呼ぶそうです)。
 
 現在十代の子供達も、ほんの“十年後”には社会の一線に出て活躍するようになります。その時“勝負をかける”ことのできる強みを、できれば早いうちに見つけてもらいたいものですが、これは口で言うほど簡単なことではありません。実際多くのゾンビが世の中に溢れているのですが、このヒト達だって学生時代にはそれなりに頑張っていたはずです。そう考えれば、どうやら自分自身の強みというものは、中途半端にではなく“十年後”を見据えて本気の努力をした者にしか見つからないようです。
 
 そのためにも、子供達には、まず「好きなこと」や「心が惹かれること」に本気で取り組んでいってほしいです。本気で取り組むことによってしか、それが自分自身にとって向いているのかいないのかが分からないのですから。捉え方は様々あるでしょうが、勉強というものはそうしたことのためにすると言うこともできるのではないかと思います。私は、成績の向上を目指すのも、レベルの高い志望校を目指すのも、結局のところ自分自身の強みを見つけ、それを生かすことができる人として成長していくためであると言って良いと思うのですが、皆様は如何お考えでしょう?
 
 子供達には、生涯を通じて勝負をかけることのできる自分自身の強みを生かすことで、多くの人の役に立ち、多くの人達から必要とされて心が満たされる“生きた人生”を送ってもらえるように成長していってもらえるよう、心から願います。それと同時に、私自身がそうした子供たちに接する者として、保護者の皆様がそうであるように本気の生き方を実践する良きお手本となるべく、一年の終わりに際して決意を新たにするものです。



<2017年12月第1週>
石神井本校 講師 吉田 満典


「絵本と塾生」
     
       
 あっという間に2017年も終わりです。随分と寒くなってきました。厳しい冬の前に木々も冬支度です。セミの鳴く頃はあんなに青々としていた葉っぱも、今はすっかり枯れ葉となり、北風によって揺り動かされる枝から一枚、また一枚と、別れを告げるかのように旅立っていく感じが、なんだかとっても寂しさを漂わせている感じです。
私は、そのときに必ず思い出す絵本とある塾生がいます。その本とは「最後の一葉」(さいごのひとは/いちよう、原題:The Last Leaf)です。
あらすじはつぎの通りです。
 ワシントン・スクエアの西側にある、芸術家が集まる古びたアパートに暮らす画家のジョンジーと同じく画家のスー。貧しいながら暖かい生活を送っていた中、ある日ジョンジーは重い肺炎を患ってしまう。スーは、医者から「ジョンジーは生きる気力を失っている。このままでは彼女が助かる可能性は十のうち一」と告げられる。心身ともに疲れ切り、人生に半ば投げやりになっていたジョンジーは、窓の外に見える煉瓦の壁を這う、枯れかけた葉を数え、「あの葉がすべて落ちたら、自分も死ぬ」とスーに言い出すようになる。彼女たちの階下に住む老画家のベアマンは、口ではいつか傑作を描いてみせると豪語しつつも久しく絵筆を握らず、酒を飲んでは他人を嘲笑う日々を過ごしていた。ジョンジーが「葉が落ちたら死ぬ」と思い込んでいることを伝え聞いたベアマンは「馬鹿げてる」と罵った。
 その夜、一晩中激しい風雨が吹き荒れ、朝には葉っぱは最後の一枚になっていた。その次の夜にも激しい風雨が吹きつけるが、しかし翌朝になっても最後の一枚となった葉が壁にとどまっているのを見て、ジョンジーは自分の思いを改め、生きる気力を取り戻す。
 最後に残った葉はベアマンが嵐の中、煉瓦の壁に絵筆で命がけで描いたものだった。ジョンジーは奇跡的に全快を果たすが、冷たい風雨に打たれつつ夜を徹して壁に葉を描いたベアマンは、その2日後に肺炎で亡くなる。真相を悟ったスーは物語の締めくくりで、あの最後の一葉こそ、ベアマンがいつか描いてみせると言い続けていた傑作であったのだと・・・。
 
 もうひとつ、思い出す塾生とは、その当時、受験生で芸術高校の合格のために頑張っていた女の子です。受験科目に実技の絵があり、そのために遠くまで毎日習いに通わなければなりません。そのため、入試直前の冬期講習会は、エースセミナーからエースワンの個別指導に移籍しました。受験のためではありましたが、いままで一緒に共に励まし合いながら頑張っていた友達とも離れ離れになったせいもあってか、日々、元気をなくしているようでした。
 
 少しでも元気になってほしいという思いで、この「最後の一葉」の絵本に手紙を添えて彼女にプレゼントしました。手紙には・・・

あなたの絵は誰のために描くの?
絵は自分のために描くのではありません。あなたの絵を見たい人やあなたが見てほしいと思う人に描くものです。
あなたの絵は何のために描くの?
あなたの絵で、喜びたい、元気を出したい、慰めてもらいたい、試練を越えたい、そして救われたい、その願いに応えてあげるために描くのです。
絵や受験勉強、今やっていることは何のため?
もちろん、志望校に合格するためです。
でもそれだけじゃない。
あなたの願いや夢を叶えるための一つの大事な通過点であり、本当にそれを願っているのかをはかるためのバロメーターでもあります。
その先に何が見えるの?
合格したい、したいと願えば願うほど、その先が曇ってきます。本当にやりたいことは何なのか?その先を見失わないでくださいね。
今、あなたはひとりぼっちだと思う?
決してひとりぼっちではありません。家族のみんな、エースの先生、学校の先生やお友達‥‥。
みんなあなたのことを応援していることを忘れないでくださいね。


 
そして、その後、受験をして無事合格!

「売れた記録を残す」絵よりも、「人の心に記憶を残す」絵を描くという志(こころざし)を、彼女は今もまだ持ち続けてくれているだろうか。


「今週のことば」2017年11月
 
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