「今週のことば」 2017年3月

<2017年3月第4週>
大泉学園校 講師 木津 誠一

 
「心に残る1年に」
 
先日、卒塾生のための「進学祝賀会」を行った。
この日のために、1年間を振り返る動画を作ろうと、これまで撮った写真を見返した。
「ああ、こんなこともあったな…」と、塾生一人ひとりと一緒に過ごしてきた日々が思い返される。
 
私が大泉学園校に赴任したのは、ちょうど3年前。
今年受験を通過した彼らが、中学校に入学する頃だった。
その当時、大泉学園校に通っていた新中1生はまだ少数だった。
宿題をやってこない生徒。授業中、眠そうにしている生徒。
毎回の授業がこの生徒たちをどうやって引き上げるかという課題との格闘だった。
それでも、授業をしていて楽しかったのを覚えている。
時には冗談を言って笑わせたり、時には厳しく注意をしたりもした。授業を工夫することにも努力した。
そうやって過ごしてきた日々は、生徒のためでもあるが、そのおかげで私自身も成長することができた。生徒がいたからこそ、講師として、磨きをかけることができた。
 
それから1年ごとに生徒が増え、共に学習する仲間が増えた。
定期テスト前には「10時間学習会」を開催。朝から晩まで、みんなで一緒になって勉強した。
また、夏休みや冬休みには、誰がどれくらい多く勉強したかを一覧表にして競い合った。
おしゃべりが多かった女子も、受験前になると、自主的に黙々と勉強するようになった。
手近に携帯があると集中できない生徒は、「受験が終わるまで預かってて」と親に携帯を渡した。
 
受験に向かっていく姿を通して、彼らは、「私たちはこんなにも成長するんだぞ」ということを教えてくれた。
 
さて、これから受験を迎える新中3生の中には、小学生から見て来た生徒もいる。
思い入れも深くなる分、責任もより一層感じる。
1年後、この生徒たちを送り出す日をイメージしながら、
「彼らはこれからどのように受験を通過して、どんな大人になっていくのだろう」
ふと、そんなことを思う。
 
「エースセミナーの先生たち、仲間たちと一緒に学べて良かった!」
彼らの心に残る1年にしたい、と心から思う。



<2017年3月第1週>
東久留米幸校 室長 福永 浩之


「勉強の神様は確かにいる。 しかし・・・」
 
 3月になりました。公立高校の入試や学年末テストが行われ、また、その結果が出てきました。見事に目標を達成できた生徒もいれば、悔しい思いをしている生徒もいるでしょう。
 
 いずれにせよ、生徒の皆さんは「人」としての成長の途上にあるわけですから、出てきた結果そのものに加えて「その結果をこれからの生き方にどう活かしていくのか」といったことも、実はとてもとても大切なことだと思います。
 
 入試で志望校に合格すること、テストで高得点を取ることは、どちらも「目標」ではあっても「目的」ではありません。高校に入ったから、あるいは良い点が取れたから、もう勉強しなくても良いというわけにはいかないのです。高校入学後の3年間を、あるいはテストが終わってからの次の学年を、どのように過ごすのかの方が、むしろ重要だと言って良いのかも知れません。
 
 生徒の皆さんには、真剣に一生懸命に取り組んできた結果を、単に合格・不合格だった、テストで点が良かった・悪かった、だけで終わらせるのではなく、人としての成長の糧としても捉えられるようになってもらいたいと、私は考え、そのように指導させていただいておりますが、保護者の皆様は如何お考えでしょうか?
 
 ところで、長年この仕事に携わりながら、この時期につくづく感じさせられるのが
 
『勉強の神様は確かにいる』
ということです。
 
 元プロボクシング世界チャンピオン“炎の男”輪島功一さんの言葉に
「神様は確かにいる。その神様が奇跡を起こしてくれる。しかし、神様は死ぬほど努力した人間にしか力を貸してくれない」というものがあります。
 
 勉強の神様も、「死ぬほど」の努力をした者には力を貸してくれるのですが、ただ、これまでできなかった問題がテスト本番になっていきなりできるとか、解答用紙を見ていたら答えが浮かんで見えてくる、といった奇跡を起こしてくれるようなことはないようです。もしそんなことをしたら、出てきた結果は“生徒自身が自らの手で勝ち取った”ものではなくなってしまうからでしょう。
 
 入試やテスト本番では誰もが緊張するものです。そして、多くの生徒達が緊張のあまり、普段通りの力を100%発揮することができなかったり、思わぬミスを犯してしまったりし易くなるのですが、勉強の神様はそんな時に、“その生徒がこれまで身につけてきた力を普段通りに発揮できるようにしてくれるという奇跡”を起こしてくれるようなのです。
 
 それでは、勉強の神様から見た「死ぬほどの努力」とは、どんな努力なのでしょうか。勉強をするのに“命のやり取り”をするようなことはさすがに無いでしょうが、かと言って「単なる言葉の遊び」でもなさそうです。
 
 何事においても本気で取り組む時、やったらやった分に比例して結果が出てくるということは、まずありません。人によって、その長さに差はあるでしょうが、“やってもやっても、やってもやっても結果が出て来ない期間”というものが、特に勉強においては存在するようです。そして、その期間は周囲の者に本人の努力が理解されることは少ないです。目に見える“実績”が出ていないわけですから、傍からすれば「何もやっていない」のと同じように見えてしまうからです。ですから仕方のないことなのかも知れませんが、この期間は勉強に取り組んでいる当の本人の努力というものを理解してくれる者がほとんどいないというだけでなく、場合によっては周囲からの厳しい追及の手に晒されることもあるほどです。「何を遊んでいるんだ?」「ふざけるな!」といった罵声を浴びることもあります(生徒達が教室で真剣に取り組んでいる姿をず~っと見ている者からすれば、本当に辛いです)。
 
 「死ぬほどの努力」というのは、そんな期間を「それでも諦めないで取り組む努力」であると言ってよいかも知れません。
 
 でも勉強の神様は、そんな努力をちゃんと知ってくれているようです。そして、ちゃんと力を貸してくれるようです。事実、この春も入試や学年末テストにおいて、そんな“奇跡”をたくさん目の当たりにしました。確かに勉強の神様はいるようです。
 
 この仕事をしていると、毎年毎年「諦めないで取り組む努力」を通じて、ひと回りもふた回りも成長していく生徒の皆さんに出会うことができます。新年度も、目標に向かって努力し成長していく生徒の皆さんを全力でお手伝いさせていただきます。



「今週のことば」 2017年2月
 
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