「今週のことば」 2016年1月

<2016年1月第4週>
向山校 講師 藤河 健太

「出来ない理由を考えるより、出来るための方法を考えよう」                        
 
  大相撲初場所で琴奨菊関が日本人力士として10年ぶりに優勝した。その裏には婚約者とトレーナーの支えがあり、従来の相撲界の常識を破る筋力トレーニング があったという。相撲界では10年間外国人力士が席巻し、「生まれつき体格や育った環境が違うのだから、日本人力士は外国人力士には勝てない」というのが ファンの常識になりつつあった。それを琴奨菊関が破った意味は大きい。
 
 同じような状況にあるのが現在のマラソン界ではないだろうか。 元々は日本人が得意とする種目で、特に女子はシドニー・アテネ五輪で連続金メダルを獲得するなど華々しい活躍をしていたが、現在では男子も女子もアフリカ 勢が上位を独占している。そんな状況にやはり「アフリカの人達は幼少の頃から生きる為に走っているのだから日本人はどう頑張っても勝てない」「アフリカ選 手は日本人とは骨格が違うから太刀打ちできない」というのが日本陸上界の常識となっていて、私もそう思っていた。
 
 しかし、先日ある陸上選手が「僕が最初からケニア選手に勝てないと思っていたら勝てない。ケニア選手に勝つために試行錯誤しないと。出来ない理由を考えるより出来るための方法を考えよう」と言っていた。
 その言葉は目から鱗だった。子どもたちの夢を応援する立場の人間として、「日本選手はアフリカ選手には勝てない」という固定観念に囚われていることに気づかされて、恥ずかしくなった。
 「どうせ無理」と諦める理由などいくらでも作れる。できないと納得させる理屈などいくらでもある。しかし、そんな理屈を考えている限り絶対に勝てるようにはならない。
 
 子どもたちの夢も同じだと思う。もしかしたら、現実を考えれば今は口に出すのも恥ずかしい夢かもしれない。でも、私はその夢を実現させるための方法を試行錯誤して、その夢を叶えるサポートをしたいと思う。



<2016年1月第3週>
上井草校 室長 田草川 英毅

やっぱり歴史は面白いぞ。
 

 私たちが教わってきた歴史がどうもかなり変わってきているらしい。そんなことが昨今よく聞かれるようになった。テレビの番組でも取り上げられることも数多くある。
 
  世情の影響でスタンスの違う語り方で歴史が違ってしまうのはさもありなんという気はする。明治の頃も当然そうだろう。今をよく見せるためには前の時代のも のは褒めるよりも落とす、けなす、悪く言うのは古今東西の歴史を見ればどこにでもである。戦後も皇国史観の反動とGHQの指導が合致して、自虐史観・戦勝 国史観がずっと席巻していた。ようやくその行き過ぎを疑問視する動きが現在ではでてきているところか。
 
 そういう見方ということではな く、最近は、多くの発見や新しい検証方法から、教科書に書き記され、試験のために知識として取りこんでいたものが、改められたり、否定されるようになって きたということを言いたい。「いい国(1192年)つくろう鎌倉幕府」は「いいはこ(1185)作ろう」になったとかは、よく生徒が言ってくる(まあ、そ れは解釈の仕方かなとも思うが)。たとえば、古代にだけ目を向けても、三内丸山遺跡の発見だけではない。それだって縄文時代観をくつがえす大発見であった が…。縄文時代の開始の年代がより古くなり、さらには、弥生時代の時期もかなり早まり、コメの栽培開始も農耕のはじまりも完全に縄文期に入っていると言わ れるようになった。表にして縄文弥生の区別をしていたのが滑稽な気がしてくる(おっと、今でもやっているかも?)。
 
 DNAでの研究が イネの伝播の経路をあきらかにしたり、人骨から採集できるDNAが列島への人類の到達経路を明かしてくるようになった。DNA鑑定の現代の信頼の寄せ方が 歴史という場でも幅を現在はきかせているのか否定しがたいようだ。大陸からの経路が北回りなのか南回りなのか半島経由なのかに影響が出てくる。
 
  歴史は断片的な知識しか持ち合わせていないが、こうも書き換えられてくると俄然興味をそそられて仕方がない。つい、授業中に雑談半分で脱線してしまうこと も多い。歴史は未来を映す鏡であるがゆえに学ぶ必要はあるのだが、最近のこの動きはさらに刺激をこどもたちに与えてくれるのではないかと思う。



<2016年1月第2週>
保谷校 室長 野澤 幸夫

「努力」
 

  昨年はラグビー日本代表が、大きな希望を我々に届けてくれた。また、羽生君の2度に渡る300点越えには驚かされた。そして間もなくテニスの四大大会の一 つである全豪オープンが始まる。良い結果が届けられるような気がする。いずれも想像を絶する努力の日々があったことを伝え聞く。
 先日、それらを裏付ける偉大な言葉に出会った。それは、国民栄誉賞に輝く世界のホームラン王、王貞治氏の言葉である。
 
『努力は必ず報われる。
 
もし、報われない努力があるならば、
 
それはまだ努力と呼べない』

 

  なるほど…。その言葉の重みが違う。球場の広さの違いが言われることもあるが、868本の燦然と輝くホームランの数、その華やかさのかげに、かくも精神的 にも肉体的にも、極限に近い努力の足跡が刻まれていたことを知らされた。なぜこのような記録が打ち立てられたのか、分かったような気がする。
 王貞治氏に対して、多くの日本球界の人のみならず、大リーガーたちも尊敬の念を持つと聞く。同じ道を極めようと努力を重ねる彼らだからこそ、素人の我々以上にそれが分かるからだろう。
  しかし、よくよく反芻してみると「凄い」言葉である。安易に使えないような気にさせられるほどの内容である。確かに、ここまでではなくても、「努力なしに 得られるものは無い」ということも事実である。だから、各自できるところから始め、やっていくなかでその質を高め、その努力を通してひとり一人が、様々な 夢を実現していって欲しいのである。
 受験期となった今、昨年同様、受験生全員が『努力と呼べる』努力によって、第一志望校合格を果たしてほしいと念じている。いや、「必ずできる」と信じている。なぜなら今まで、様々な課題をひとつ一つその努力によって、共に乗り越えてきたのだから…。



「今週のことば」 2015年12月
 
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