「今月のことば」

向山校 室長 小嶋 守

 かつて留学していた校には、南極を除く5大陸からの学生が集っていた。
 ハーバードやコロンビア大学、東大、京大といった超一流大学出身者も多くいたが、何より考えさせられたのは、その「勉学・研究に対する主体的意識の高さ」についてである。
 留学した目的が、半ば個人的な興味・関心の域をさほど出ていなかった私から見ると驚く程高い志を持って勉学・研究に勤しむ学生が多くいた。中には、それぞれの国家の未来を背負って立つという程の気概を持つ学生もいた。
 純然たる頭脳の優秀さ云々よりも、その意識の高さ・気概・研究に取り組む姿勢等によってその研究成果に大きな差が出るのではないか、と私自身には感じられた。そして、そう感じられた事が私にとっては一つの救いであった。さほど優秀ではない自分でも、志の高さ・強さ・利他的である事など精神的な部分でカバーできる内容が多々あると思えたからである。
 
 長年多くの生徒と接していると、益々上述の認識は間違ってはいないという感を強くしている。
 
 つまり、
   「能力よりも、目的意識の高さや強さそしてその継続性の方が重要」        
      であると。
 
 常々、生徒にそういう話をしてきたし、これからも話し続けるだろう。
 何より自分自身にそう言い続けるだろう。
 
 「あなたが今やっている事の目的は何ですか?
  どれ位の高みを目指しているのですか?
  どれ位強い意志を持って実現しようとしていますか?
  それを継続する事はできますか?
 
  それは、どれ位まわりの人や、社会や、国家・・・の為に
   役に立っていますか?役に立ちそうですか?」



早宮校 室長 前島 剛
 

   今年も3月になった。高校への進学が決まり、卒塾していく中学3年の生徒たち。長い生徒では5年以上も塾に通い、受験生としての最後の1年間は毎日のように顔を合わせていたようにさえ感じる。必死に努力してきたことがひとつのかたちとなり、進路は決まった。
   入試の問題で問われたのは教科の知識だが、その知識を身につけ、自分のものにするためには、毎日、地道な努力を続けてこなければならなかった。どれだけ真剣に受験に向き合い、努力を積み重ねてきたか。入試で問われていたのは、実は、それぞれの“生き方”だったのだと思う。
   みんな必死に努力をしてきた。努力が実を結び第一志望の高校に合格した生徒も、悔しい思いをした生徒も、必死に努力をしてきた。受験を通して、努力することの素晴らしさを知り、これからも“努力する生き方”を選ぼうと思える自分になっているなら、それはとても価値のある時間を過ごしたのだと思う。努力こそがこれからの人生を切り開いていく原動力になるからだ。
   そしてもう一つ、この受験の期間、自分が勉強に打ち込むことのできたその環境に感謝しなければならない。世の中には、勉強したくてもできない人だってたくさんいる。欲しい問題集や参考書があっても買ってもらえない人だっている。塾に通いたくても、家庭の経済的な事情で通わせてもらえない人もいる。テキストがあり、問題集やドリルがあり、シャーペンと消しゴム、ノートがあって、毎日、元気に勉強できること、それはかけがえのないことだ。だから、いま勉強できることに感謝しなければならない。
   高校に行ってからも勉強は続く。どのような高校生活を送るのか、どんなことに挑戦していくのか。試練にぶつかった時、受験を通して掴んだものを忘れずに、前を向いて歩んでいくことを願っている。
   そう生徒に語りながら、私もまた、新たに努力をしようと思う。



早宮校 講師  中岡 秀彰 

受験シーズンもたけなわ…、などと催し物か何かのような表現をしては当事者の受験生たちに叱られるだろうか。
受験生たちは今、まさに青息吐息。人の世が続く限り滅びゆくことがないであろう「受験」であるが、人間が人間をここまで追いつめることが許されてよいものかと思ってしまう。
高校受験は人生の通過儀礼において最も過酷な試練の一つではなかろうか。年端もいかぬ青少年が「高校進学率97%」という半ば脅迫観念の中、好むと好まざるとにかかわらず、英数国理社の学科試験という限られた土俵の中で見ず知らずのライバルたちと凌ぎを削らなければならない。
しかし、考えようによっては、門地によらず、暴力によらずペーパーテストで優劣を競うという制度は法治国家の象徴としてまことに寿(ことほ)ぐべきことだ。受験とは平和な社会に生きるためのわずかばかりの代償なのかもしれない。
このように、高校入学時のみならず、人生において何度か直面する「受験」をどう受け止め、どう対峙するかによって人生は大きく変わってくるのではあるまいか。
生徒が受験生という現実を受け止められず、もがき苦しんでいる時に伝えるメッセージがある。
「受験生はみんな苦しい。だからありがたい。」
 人間、病気や怪我をした時、愛する人との別れをむかえた時、周りが幸福なだけにさらに苦しい。浮いてしまった孤独の悲しみが苦しさに一層拍車をかける。
 中3生はみんな苦しい。みんな苦しいから分かちあえるし、励ましあえる。これからどれだけおとずれるかわからない苦労の練習だと思えばいい。
 このメッセージで受験生の重荷をどれだけ軽くできたかはよくわからない。あるいは逆効果だった受験生もいたかもしれない。救い上げられなかった生徒の分だけ反省が残る。
年々積もっていく反省の念を雪ダルマのように丸めながら、反省する練習をしているのだと自分に言い聞かせている。

 
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