「今週のことば」 2015年6月

<2015年6月第4週>
早宮校 室長  前島 剛

  「やりきった」という経験が人生の宝
 

毎年6月になると、中学3年生の運動部の多くは部活を引退する。様々な思いを抱いてその日を迎えると思うが、「やりきった」という思いを一人一人が持てていれば良いと私は思う。
 
スポーツの世界で、「勝った」「負けた」というのは大きい。「勝ち」にはこだわるべきだ。負けると悔しい。しかし、教育の一環としての部活動は、どのように取り組んだ結果なのか、それがとても大切だ。
 
思いっ切りやれたかどうか。
 
勉 強においてもそうだ。なぜ必死になって勉強しなければならないのか。こんな勉強して、将来何の役に立つのか。そんな思いになる時もある。確かに学校で勉強 したことが、大人になって直接役に立つことは少ないだろう。そもそも、定期テスト前に一夜漬けで覚えたことなどすぐに忘れてしまう。ただ、学校のテストや 受験勉強で皆が同じルールの中で力を磨き結果を競う、その過程から得られるものは貴重だ。例えば、忍耐力、自分を律する力、具体的に努力する「自律心」等 だ。
 
全力を尽くせたかどうか。
 
今回、ある中学の社会の定期テストが今までになく難しかった。生徒は、難しい事に文 句 を言っていたが、こういうこともあるだろう。文句を言っても、結果を見て落ち込んでも、終わったことは致し方ない。全力を尽くせたならば、今回は点数が取 れていなくても、今後に役立つこともあるだろう。全力を尽くせたのか、そうでないのか、それが問題だ。
 
やりきったという経験が、自信となり人を成長させる。だから勝負ごとは全力で・・・。
 
こ れからも、たとえ望まなくても様々な場面で、何かしらの勝負はついてまわるだろう。「勝つか負けるか」不安になったとき、勇気を与え自分の背中を押してく れるのは、「やれることはやりきった」という思いだ。その経験の積み重ねが自信となり自分を成長させ、将来大きな勝利を呼ぶに違いない。未来の自分に自信 をプレゼントする。そんな思いで、目の前の一つ一つに今日も全力で取り組んでほしい。    



<2015年6月第3週>

向山校 室長  小嶋 守
 
「相対性と平和」
 
 
 若かりし頃に触れ、大変影響を受けた考え方に、アインシュタイン博士の「相対性」という考え方がある。相対性理論の真に何たるかは分からないが、「同じ事象でも観測者の立場や状態によって見え方が異なる」という観点は衝撃的であった。
 
 例えば、空を飛んでいる飛行機を至近距離から見れば、一瞬で目の前を通り過ぎて行く。だが、地上から遠く離れて見れば、逆にじっと目で追い続けなければ分からない程ゆっくりと動いていくように見える。
 
  あるいは、突然、自分だけが10倍の大きさに巨大化した場合、世の中は10分の1の大きさに見え、まるでガリバーのように自分以外の全てのものがミニチュ アのように感じる。ところが、自分と同時に世の中の全てのものが10倍化すると、絶対値としては大きくなっているはずなのに世界は恐らく全く変わっていな いように見える(というか、10倍化した変化に気付きすらしないかも知れない)。
 
 挙げればきりがないが、一見誰にも同じように見えて いると思われている「客観的と考えられている」事象ですら、かくも相対的に捉えられるということは、観念的・精神的な事柄に関しては益々絶対的な見方なる ものは存在しないのではないか?という事になる。(但し、これは「絶対的」な結論として述べているのではない)
 
 何が言いたいかというと、何事も「絶対にこうだ!」と決めつけることは、その他の見方を排除することにもつながり、自己正当化と排他性という問題が生じることになる。世の中の多くの問題の根っこは多かれ少なかれこの点にあると言ってよいだろう。
 
 逆に、「絶対にこうだ!」と決め付けずに、「他の考え方や見方、感じ方もあるかも知れない」という姿勢でいれば、他者の意見にも寛容でいられるし、冷静に話し合うことも可能だろう。大げさに言えば、そういう姿勢が、より良い、平和な世界を作る為の第一歩であろう。
 
 毎日生徒達と接する中でも、一方的に自分の知識・見識を振りかざすのではなく、良い意味での「相対的」な立場に立って考え方を共有し、意見交換し、より良い世の中を創り出す歩を進めていきたいと考えている。  



<2015年6月第週>
新座北野校 室長 竹鶴 智宣

やる気は育つのか育てるのか
 
 昔読んだ物理の教科書のまえがきに、論語の一節が引用してありました。

[学びて思わざればすなわちくらし、思いて学ばざればすなわちあやうし]

  著者の趣旨は『自然科学の発展の著しい現代においては、研究の第一線に立つまでに学ぶべき課程があまりにも多すぎて学生にとって負担になっているが、学習 して更に創造性を発揮するためには、思索が欠かせない。しかし思索にふけりすぎて、既にある実験結果などを無視するような理論は、役に立たない』という意 味です。

 しかし、これは大学での勉強に限ったことではなく、小学生や中学生が勉強をするときも全く同じだと思います。特に前半について ですが、学校で先生の話を聞くとき、自分で考えてみもせず、ただ聴いている生徒と、先生の話をきっかけに自分の経験や知識を思い起こし理解しようとして聞 く生徒と、外から見ただけではわかりませんが、定着のレベルは違うはずです。

 ではどうしたら、考えない生徒が考えるようになるのでしょ うか。これはひとえに生徒の中に主体的な動機が育つのを待つしかないと思います。講師は勿論あの手この手でやる気を育てようと努力しますが、うまくいかな い事も多いです。それでもあきらめないで働きかけていると、生徒が変わる事があります。この仕事をしていて一番うれしい瞬間です。

 今年の中3生は学力が厳しい生徒もいます。今日の授業では部活の疲れでうとうとする生徒もいました。まだまだ駄目です。しかし、もしこの生徒たちが変わったら生徒も私もハッピーになれます。いつかそういう日が来ることを信じて、忍耐強く指導していきたいと思います。



<2015年月第週>
大泉学園校 室長 渡辺 悠希

小さな志
(こころざし)を積み重ねる
 


教室で新年度の「志パネル」を作成した。
 
そこには、子どもたちの今年度の目標が書いてある。
 
例えば、小学生のある子は、
 
「難しい漢字を100字おぼえる!」
 
中学生の多くは、
 
「部活と勉強を両立する!」
 
と書いてくれた。
 
私は「志パネル」に、次のように記した。
 
  あなたは素晴らしい!
  そのあなたの志を育てること。
  これが僕の志です。
 

今年度の目標は、いわば、「小さな志」だ。
 
その「小さな志」の積み重ねによって、
 
将来、子どもたちには、「大きな志」を持って生きてほしい。



「今週のことば」 2015年5月
 
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