「今週のことば」 2015年3月

<2015年3月第4週>
AO大泉学園校 室長 有川 正志


天与の尊い道と「志を立てる」教育
 
「自分には、自分に与えられた道がある。天与の尊い道がある。」
これは、“経営の神様”と称される松下幸之助の言葉である。
 
2015年度の入学試験が終わった。
生徒1人1人が自分の志を持って受験に臨んだ。
 
エースセミナーの教育理念の1つは「志を立てる教育」である。
私は生徒にいつも問いかける。
「あなたの志は何ですか?」
 
Aくん「Jリーガーになって子供たちにサッカーを教えることです。」
Bくん「電気技師になってみんなの暮らしを良くすることです。」
Cくん「空手の先生になってみんなに空手を教えることです。」
Dさん「看護士になって一人でも多くの人を助けることです。」
Eさん「保育士になって良い子を育てることです。」
 
という答えが返ってきた。                          
 
もちろん「まだありません。高校に行ってから見つけます。」
と答える生徒も多くいる。
 
「高校も大学も人生の目的ではありません。その先、世のため人のために
自分は何をすべきか、“志を立てること”を考えながら勉強しましょう!」
と声をかける。
 
「自分だけにしか歩めない大事な道、かけがいのない道、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。必ず新たな道が拓けてくる。そして深い喜びも
生まれてくる。」(松下幸之助)    
 
生徒の立てた志が天職に繋がればこれ以上嬉しいことはない。



<2015年3月第3週>
AO石神井公園校 室長代理 田中 浩介
 
 「次の目標に向かって」


中学受験、高校受験、大学受験、発表がまだのところがあと少し残っていますが、ほとんどのところは終了しました。ほとんどは合格し、歓喜に震え、あるいは喜びの涙にあふれた人もいたことでしょう。

しかし、不合格も実際いました。悲しみと悔しさの涙を流し、落ち込んでまだ立ち直れずにいる人も中にはいるかもしれません。どうか、早く立ち直って、つぎの目標に向かって歩み始めてほしい。君と同じぐらい悲しんで、悔しくて、心を痛めている人がいるから。

それは、

君のお母さん。君のお父さん。

君のおじいちゃんとおばあちゃん。

君を教えてくれた学校の先生。

そして塾の先生。

その人たちは、君が立ち直ってくれないと、決して心が晴れず、いつまでも立ち直れません。
ところが、ひとたび君が顔を上げ、前を向いて歩き始めたら、もうこの上なくうれしくてたまらない。

君は一人ではないのですね。そういう人が君の周りにいる限り、君は一人ではないのです。



<2015年3月第2週>
石神井本校 講師 吉田 満典


「人間万事塞翁が馬」
  

  中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。ある時、その老人の馬が北の 胡の国の方角に逃げていってしまいました。この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。と ころが老人は残念がっている様子もなく言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。「このことが災いにならないとも限らないよ。」しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。
 
  受験の「結果」はもちろん大切である。しかし、その前に問われることは「受験」そのものに対して、どういう気持ちで向かい合い、どのくらい真剣に闘ってき たのかである。結果を見て流す涙がもし「悔し涙」であれば、それは大丈夫だ。その涙を拭かずに前だけを向いてほしい。すると、だんだんかすんでいた道が はっきり見えてくる。



<2015年3月第1週>
東久留米幸校 室長 福永 浩之


全ての力を出し尽くした時が本当の始まりです

 
 3月になりました。全国の公立高校の入試が行われ、また、その結果が出てくる頃となりました。
 当然のことながら、見事合格の栄冠を勝ち取る生徒もいれば、そうでない生徒もいます。結果というものは、常にシビアに突きつけられるものですが、合格・不合格いずれの結果にせよ、受験生諸君に問わなければならない事柄が一つあります。
 
『キミは持てる力の全てを出し尽くして入試に立ち向かったのか?』
 
ということです。
 
堂々 と誰の目も気にせず「やりきった」と言えるならば、たとえ不合格という結果であったとしてもその生徒は、受験に対する「勝者」であると、私は考えます。逆 に「本当は、もっとやれたんだけど、やれたはずのことを曖昧にして適当に誤魔化して、いかにもやってるフリをして自分自身と周りの目を欺いていた な・・・」といった心の声が一瞬でもよぎったとするならば、たとえ受験に合格はしても、勝者であるとは言えないのではないでしょうか。
 
元プロボクシング世界チャンピオン“炎の男”輪島功一さんの言葉に
「神様は確かにいる。その神様が奇跡を起こしてくれる。しかし、神様は死ぬほど努力した人間にしか力を貸してくれない」
というものがあります。さすがにリーチの差が何十センチもあって、100%勝てるはずがないと言われた相手を何人も倒して、3回も世界の頂点に立った人の言葉には説得力があります。やはり奇跡は起こるのかも知れません。神様はいるのかも知れません。
 
試 験当日に自分自身の力を最大限に発揮できるように、勉強は勿論、体調や睡眠、食事をコントロールし、今自分は何をしなければならないのかを弁え、誘惑に負 けそうになる自分自身を管理するといった“死ぬほどの努力”を何週間も何ヶ月も積み重ねた結果だとするならば、合否に関わらず、誰憚ることなく堂々と“次 のステップ”に足を進める資格があると言えるでしょう。
 
ところが「自らの限界を超えた」レベルでやってきたと感じられる取り組みも、 “次のステップ”では、ただ“普通”のレベルに過ぎないことを知って愕然とするかも知れません。そして、そこからまた“死ぬほどの努力”が始まるのです。 この繰り返しです。「終わり」などありません。
 
うんざりするかも知れません。でも、それで良いのです。
 
そうやって一 段階ずつレベルアップしていくのです。高校、あるいは大学に合格すること、就職することが「人生の目的」ではないということだけは確かです。「人」として 幸福な家庭を築き、より広く社会の役に立つ仕事をするようになるのに、ここまでやれば良いといった「終着点」は無いのです。そのためにも、まず「今」取り 組んでいる事柄に対して「全力を出し尽くして立ち向かう」ことが本当の出発であり、とてもとても大切なことであると私は考えます。
 
日頃の授業を通じて、そういったことを子供達に伝えることができたら講師冥利に尽きると感じます。


「今週のことば」 2015年2月
 
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